音楽と「勝ち負け」~吹奏楽における「大会」を考える~
アンコン打楽器必勝請負人です。
嘘です。全国大会とかまでは行ったことがありません。
しかし、
で紹介した通り、片田舎で暮らしながら過去合計4年間で2回、支部大会(=全国手前の大会)に連れて行ってくれた生徒さんたちに恵まれました。
その他の大会でも楽しい思い出をみんなありがとう。
3月になりました。
コロナ禍での抑圧された1年間。
ワクチン、予防接種が世界的にはスタートするなど、ほんの僅か差し込む光。
新年度の部活動に今から意欲を燃やす吹奏楽部員のみなさんも多いことと思います。
そこで、活動の中でも最も大きなイベントの一つであろう「大会」、特にもその大会での「勝ち負け」について自分の考えを書いてみます。
大会というもので上記の通り短期間である程度結果を出すことができた生徒さんたちとの4年間を通じて僕が感じた、
「大会ってそんなに悪いものじゃない」
というのが伝えたいメッセージです。
特にも学生吹奏楽での大会を、実りある経験にしたいという生徒さんたちに読んでもらいたいと思っています。
- 吹奏楽コミュニティにおける「競争」
- 「音楽に勝ち負けはない!」について
- 競争、勝ち負けは「悪」なのか
- 「良い賞より良い演奏を目指そう!」について
- 身内に向けた「良い演奏」とは
- まだ楽しんでもらっていない観客が、大会にはいる
- じゃぁどうすりゃいいのさ
- まとめ
吹奏楽コミュニティにおける「競争」
吹奏楽というコミュニティでは、大会というものについてこんな話をよく聞きます。
「音楽に勝ち負けはない!」
「良い賞より良い演奏を目指そう!」
みなさんも聞いたことがあったり、自分でそう思っていたりしませんか?
僕も、これらの話は間違ってはいないと思っています。
ただし、どうもねじ曲がって使われているように思うんですよね。
「音楽に勝ち負けはない!」
「良い賞より良い演奏を目指そう!」
→「だから金賞じゃなくても良いし」
のように。
この考え方を僕は否定はできませんが、美しい考えとは思いません。
はじめは正しいとか言っておきながら、批判めいたことを書いて、金賞をありがたがるなんて、お前の本音はどっちなんだ?という感じですけれど、今から僕の考えが伝わるように頑張ってみます。
「音楽に勝ち負けはない!」について
僕の考えでは「勝ち負けが音楽のすべてではない」という方が自然です。
一人で好きな楽器を練習、演奏する。楽しい。
誰かと一緒にアンサンブル、セッションする。楽しい。
大人数で一つの楽曲を演奏する。楽しい。
その音楽で誰かが楽しんでくれれば、なお楽しい。
音楽を演奏するということの”本質”に「勝ち負け」はありません。
しかし、実際には音楽業界には勝ち負けがたくさんあります。
例えば、特にクラシック畑において、音楽と勝ち負けは無縁ではありませんよね?
音大入試、学内オーディション、各種コンクール、オーケストラなどへの入団オーディション…ぼくは実際体験したことはありませんが、話を聞く分だと競争だらけです。
ではなぜ「音楽に勝ち負けはない!」というフレーズが広まっているのでしょうか?
おそらく「勝ち負け」=争いという図式になってしまっていて、それは醜いことだと感じる人が音楽を好きな人たち、特にも吹奏楽業界に多いのだと思います。
美しい音楽を目指して日々練習しているわけですからね。醜いものは遠ざけたいのも分かります。
でもその割に、吹奏楽業界って大会が嫌いじゃありませんよね?
毎年コンクールとアンコンに出て、そのために「ブラック部活」と揶揄されるほど練習する。
ちょっと矛盾だなって思ってます。
本当に「音楽に勝ち負けがない」という考え方が美しいのであれば、こんなに大会が盛り上がるはずがありません。
競争、勝ち負けは「悪」なのか
では「勝ち負け」は悪なのでしょうか?
例えば、スポーツは勝ち負けを争ってばかりの野蛮で下品な文化ですか?
もちろん違いますよね。
勝つという目標に向かってどういった部活動を計画、実行するのか。
全国の頂点以外のすべての生徒が経験する「負け」、そこから何を学んで次に向かうのか。
つまり、音楽だろうがスポーツだろうが、大会等で良い結果を残そうとするっていうのは「人生の練習」なんですよね。
ただ、そこに含まれる「勝ち負け」っていうのが音楽を演奏することの本質ではないというだけのことです。
何かに真剣に取り組んで、それでもダメ。でもまた立ち上がって生きていく。
そんな貴重な経験を「音楽に勝ち負けはない!(だから結果はどうだっていいんだ!)」という誤った解釈で失わないでほしいと思っています。
「良い賞より良い演奏を目指そう!」について
このフレーズが一番厄介です。
これをどう捉えるかっていうのは、最終的に「大会の勝ち方」にも繋がる超重要な問題なのです。
問題は「良い演奏」とは何かということです。
僕の中での良い演奏というのは大きく分けて以下の2つの要素で成り立ちます。
①演奏者の自分が楽しめたか
②観客が楽しめたか
おそらく、僕を含めた多くのアマチュア奏者がこの辺りじゃないかなと思います。
ただし、この②「観客が楽しめたか」が実はさらに2つに分かれることに気づいていない生徒さんや学校さんは多いと思います。
観客には「身内」と「お客さん」の二種類があります。
これをごっちゃにしていると「良い音楽」にたどり着くことはできないと思っています。
身内に向けた「良い演奏」とは
アマチュア吹奏楽のコンサート、地方だと大会でもそうなのですが、観客のほとんどは生徒さんたちの「身内」「ホーム側の人間」なんです。
ポスターを見て気になったから、何も考えずふらっと会場に足を運ぶ全く接点のない観客なんて、まずいないですよね。
さて「あぁ、今日ちょっと失敗しちゃったな」なんて演奏会の後、ロビーで身内の観客が話しかけてきて
「あそこでミスるのはだめだね。0点。」
と真顔で言うでしょうか?そんなこと絶対ないですよね。
きっと
「いやぁ、良い演奏だったよ!かっこよかった!頑張ってたね~!」
とねぎらってくれるはずです。
つまり、演奏の質が高いにこしたことはないが、本質はそこではないということです。
特に学生吹奏楽においては、身内の観客は身内である生徒さんが青春を燃やしているその「姿」に感動しています。
僕の祖父は、もう耳が遠くなってしまっているのに、高校生の僕が演奏する姿を見て泣いていました。
僕の力不足で、打楽器チームがタイムオーバー=失格した演奏の後、ある生徒さんのお母様がすごく演奏を褒めてくださいました。生徒たちの頑張りが伝わったと。
「普段支えてくださっている方々に、できる限りの感謝を伝えることができるように、精一杯の演奏をしよう」
この気持ちを美しいと思わない人なんていないと思います。
たぶん「良い賞より良い演奏を目指そう!」というのは本来そういう意味なのではないでしょうか?
だとすれば、学生のみなさんが精一杯演奏している時点でそれは「良い演奏」なのです。
まだ楽しんでもらっていない観客が、大会にはいる
一方、大会には必ず身内以外の「お客さん」という観客がいます。
お客さんっていうのは身内ではない人のことだと思ってください。
お客さんはみなさんがどれだけ頑張ってきたか、どんなトラブルを乗り越えてこの演奏にたどり着いたかなんか知る由もありません。
彼らが聴いているのは「音楽」です。
僕の祖父が泣いていた演奏は、説明なしにYoutubeに上げた途端、全国の吹奏楽マニア(=お客さん)から酷評されるでしょう。
この「お客さん」の最たる例が大会の審査員です。
さあ、大詰めです。
身内の観客+審査員(を含めたお客さん)=大会会場にいるすべての観客
が喜ぶ演奏をすることができれば、これこそ究極の「良い演奏」そのものだと思いませんか?
前提として、審査員を務めるような方々は、学生たちが心血注いだ演奏を聴くだけで喜んでくださっていると思います。
そこは最低ラインです。
ちなみに、僕がいた支部の吹奏楽業界では審査方式がABC式でした。
おお!良い演奏だな!→A
うーん、頑張ってはいるけれど…→C
それ以外→B
です。
「おお、この地区の子どもたちは頑張ってるな!」
となる演奏を披露しようと思えば…
「良い賞より、良い演奏を目指そう!」
やはりこの言葉は少しややこしいというか、欺瞞というか、誤魔化しだと思います。
このフレーズを言う人は、無意識に審査員という観客を喜ばせることを諦めてしまっています。
それはつまり、究極の意味での「良い演奏」を諦めてしまっているのです。
それってつまり、本気になっていないということでは?
本気になっていなければ「身内」すら楽しませることができません!
じゃぁどうすりゃいいのさ
さて、審査員が絶賛!そんな演奏はどういった演奏でしょうか?
実は、みんなもう知っているのに、目を背けているだけというのが真実だと僕は思っています。
その真実とは…長くなったので稿を改めます。
気になる方はSNSやYouTubeのフォロー、お願いします。
このことに目を向けると、生徒さんの純粋な音楽性、技術がグッと高まります。
本気で大会に勝とうとすると、本来この真実に辿り着くものだと思います。
僕はその視点から生徒を指導し、最初に述べたような経験をさせてもらいました。
はじめは地区予選突破も危うかった田舎の生徒たちが、支部大会出場の枠を争えるほど成長してくれたおかげです。
音楽的な成長という意味でもやはり高いモチベーションをもって大会へ臨むことは良いことだと思います。
まとめ
吹奏楽における大会の勝ち負けは絶対悪ではない。
どうせなら本気で勝ちを狙ってみてほしい。
その本気の姿に人は感動し、喜んでくれます。
その代わり、本気で頑張ったからって勝てるわけじゃない。
本気で勝ちを狙うときには、負けて落ち込んでも最後には立ち上がって前を向く決意が必要です。
ぼくも負けっぱなしの人生ですが、その度に前を向いて歩いていこうという気持ちです。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。